子供の頃の淋しさについて

私は子供の頃淋しい思いをした。
誰でもあるようなことだ。
淋しい思いをする理由の一つとして、考えや視野が狭いということが挙げられる。
そのため私は小さい頃に経験した淋しい出来事を体験している私にアドバイスを用意している。

例えば3人の友達と下校している時に、道が狭いから2人が前に行って私が後ろから追いかけるようになった時。
2人が何を話しているのか聞こえなくて、会話に入れなくて、でも会話に入りたくて、ヤキモキしている私。
何を話しているの?ってウザがられるだろうからって聞けないでいる私。
そんな私には電柱の数を数えなさいとアドバイスする。
電柱と電柱の間はどのくらいで何本くらいの電線が電柱にまとわりついているのか数えなさいとアドバイスする。
観察をしている時はいつも自分も友達も薄まっていく。
観察してわかったことを私に言ってもらいたい。
ちゃんと話を聞いてあげるからね。
嫌でもみんなの輪からは外れちゃいけないよ。

例えば、弟の調子が悪くて、みんなが弟ばかりに注目している時。
家にいても、いなくても同じだと感じている私。
仕方なしに友達と遊ぼうとしたら、弟がこんな状態なのにどこに行こうとしてるんだと怒られている私。
あんたが不機嫌だから家の雰囲気が悪くなるのよと吐き捨てられた私へのセリフ。
そんな私には、沈黙が最善の解だとアドバイスをしたい。
言ったら言っただけ、もっと強い自己否定をされるから、黙っているのが1番攻撃を受けないんだよと教えてあげたい。
感じている理不尽さや憤りを自分の性格の悪さや自分のダメさに繋げないでもらいたい。
そうしないと淋しいのか、淋しくないのか、今何がしたいのかわからなくなってしまうよと伝えたい。
私は彼女を抱き上げて、淋しいよね、でもしょうがないよねと声をかけてあげたい。
わかっているのだ。
弟が大変で看病が必要なのも、連日の看病で疲れているのも。
でも愚かな私は淋しかったのだ。

たくさんの淋しいことがひしめき合っている。
必要なのはやり過ごす力なのだ。
淋しさが麻痺しないように私は私にアドバイスを考え続ける。
幼い私が淋しくないように、ぬくぬくと暮らせるように一生懸命考える。

願わくは、淋しい時に1人で泣く人がいなくなりますように。