ペット

高校の国語の授業で私は驚くべき事実を知った。
犬や猫などのペットは喋らないから、側にいられるというのだ。
私は衝撃を受けた。
なぜなら人と一緒にいる為には会話が必ず必要で、共有する文化や情報を丁寧に理解する必要があると思っていたからだ。

国語の先生はこう続けた。
…疲れて帰ってきたときに、ラジオのようにまくし立てて情報を入れ込もうとするモノを快く迎えるだろうか?
もしもペットが喋れて、やれ散歩に連れてけやら、やれご飯が美味しくないやら、やれ遊んでくれなんて言い出したら、たちまちペットは捨てられてしまうだろう。
喋らないで側にいてくれるからペットの心情を人間は自由に解釈できるんだ。
ペットは喋らないから、人間はペットに対して『おいらが淋しさを感じているから淋しくならないように側にいてくれるんだ』と勘違いして、ペットに優しくできるんだ。
もしかしたらペットはお腹を空かせていただけかもしれないし、ストーブに当たりたかっただけかもしれない。
でも人間にはそんなペットの文脈なんか関係ないのだ。
ペットがペットであるためには、けしてペットが喋れてはならないのだ。
側にいたいのなら、喋れないほうが都合がいいのだ…

私は一時期、人の側にいたくて、ちゃんと意思疎通するために、辞書を覚えようとしたことがあるんだけど、すごく無意味だったなぁと思った。