泣くな、はらちゃん
一年くらい前にやっていたドラマの名前だ。
この中で『私の世界』という歌が出てくる。
……
世界じゅうの敵に降参さ 戦う意思はない
世界じゅうの人の幸せを 祈ります
世界の誰の邪魔もしません 静かにしてます
世界の中の小さな場所だけ あればいい
おかしいですか? 人はそれぞれ違うでしょ?
でしょでしょ?
だからお願いかかわらないで そっとしといてくださいな
だからお願いかかわらないで 私のことはほっといて
世界じゅうの人の幸せを 祈ります
世界の誰の邪魔もしません 静かにしてます
世界の中の小さな場所だけ あればいい
でしょでしょ?
だからお願いかかわらないで 私のことはほっといて
……
世界の中の小さな場所だけあればいいっていう歌詞があるのだけど、すごく淋しい感じがする。
まわりと関わらなければ、変な話だけど傷付けたり、傷付いたりすることもなくって、自分の心の安定をはかることができます。
もちろん楽しいことや喜ぶことも少なくなるのだけど、辛いことが少なくなるのなら、とても利口な選択肢だと思います。
そもそも誰かとやりとりをすることはとてもエネルギーがいることなのです。
ペット
高校の国語の授業で私は驚くべき事実を知った。
犬や猫などのペットは喋らないから、側にいられるというのだ。
私は衝撃を受けた。
なぜなら人と一緒にいる為には会話が必ず必要で、共有する文化や情報を丁寧に理解する必要があると思っていたからだ。
国語の先生はこう続けた。
…疲れて帰ってきたときに、ラジオのようにまくし立てて情報を入れ込もうとするモノを快く迎えるだろうか?
もしもペットが喋れて、やれ散歩に連れてけやら、やれご飯が美味しくないやら、やれ遊んでくれなんて言い出したら、たちまちペットは捨てられてしまうだろう。
喋らないで側にいてくれるからペットの心情を人間は自由に解釈できるんだ。
ペットは喋らないから、人間はペットに対して『おいらが淋しさを感じているから淋しくならないように側にいてくれるんだ』と勘違いして、ペットに優しくできるんだ。
もしかしたらペットはお腹を空かせていただけかもしれないし、ストーブに当たりたかっただけかもしれない。
でも人間にはそんなペットの文脈なんか関係ないのだ。
ペットがペットであるためには、けしてペットが喋れてはならないのだ。
側にいたいのなら、喋れないほうが都合がいいのだ…
私は一時期、人の側にいたくて、ちゃんと意思疎通するために、辞書を覚えようとしたことがあるんだけど、すごく無意味だったなぁと思った。
にっき
今日は6:00に起きた。まだ寝てたかったので二度寝して6:20に起きた。
昨日買ったパンを食べて、化粧して、本を持って仕事に出かけた。
いつも通り7:36発の電車に乗る。
イヤフォンをして音楽を聴きながら通勤するので、あまり周りは関係なくなる。
空気が少し脂っこいなぁと思う。
8:20ごろ西新宿に着く。
歩いていたら足が痛くなり、歩くことに飽きたけど、歩かないと職場に着かないので歩き続けた。
8:34ごろ職場に着いた。職場には先に同僚がいた。いつもより早く来ているようだった。
掃除をしていたところに社長たちが出勤してくる。
9:03ごろ朝礼をした。私の会社では朝24時間いないにあった良かったことをみんなに話すのだけど、たいして毎日変わりばえしない内容が話される。意味あるのかな??
適当に仕事をして、14:36ごろお昼を食べにファミマへ行く。簡単に食事を済ませて、今朝持ってきた本を読む。熱中できる本は自分が薄まるのでとても都合がよい。
昼休みが終わり、そしてまた適当に仕事をする。時間だけが過ぎて行く。意識とは関係なく時間が過ぎるので非常に面白いなぁと思う。
適当に仕事をしたあと帰宅する。今日は最高に気分が良かったので、どこかで本を読んでから帰りたかったのだけど、歩いているうちに足が痺れてきたので、残念ながら真っ直ぐ家に帰ることにした。
家に帰ったら、ママンの機嫌が悪かった。こんなことなら、どこかでご飯を食べてくれば良かったのだけど、もうしょうがない。なるべく波風立てないように頑張って夕食を食べた。
10:06ごろお風呂から上がり、10:55ごろお布団に入る。明日もいい日になるといい。
忘れること
私は傷口を放っておくことができない。
傷口にかさぶたができると、痒くなるし、火照るし、気になって、剥いてしまう。
また血が出てくる。
また痛さが蘇る。
ああ痛いと思う。
そこでその傷の存在を改めて実感し、傷はまだ完治していないこと確認する。
痛みには種類があって、傷口によって刺激が異なる。
ヒリヒリするなぁとか、ピリピリするなぁとか、ズキズキするなぁとか思う。
次に同じ怪我をしないようにするためには、痛みの特徴をちゃんと覚えておかないといけない。
だから私は傷口をむしらずにはいられない。(もちろんかさぶたが気になるからっていうのもあるけどね。)
痛いのはもうごめんだから、何回も何回も掻きむしって、掻きむしって、痛みを確認するのだ。
静かにそうっとしておけば、綺麗に治るのだけど、そうはいかない。
かさぶたをめくるたびに、傷口の形が変わっていくことや、痛みが変わっていくことがある。
一年前の痛みと今の痛みはだいぶ違うような気がするだけど、私は不毛にもまだかさぶたを掻きむしり続けている。
にっき
今日は10時間くらい寝ていた。
昨日はたくさんのことを考え、そして実行した。
慣れないことや考え事をするととても眠たくなる。
風が秋めいていて、とても気持ちがよかった。
本当はお散歩したかったのだけど、足が腫れていて歩けなかったので自転車で移動した。
読みたい本があったのを思い出したので本屋さんへ行った。
しかしその本は売っていなかった。
とても悲しくなって泣きそうになったが、泣くのは我慢した。
優子さんがいたら、泣いてたかもしれない。
私の欲しい本が私の好きな本屋さんに売っていない。
その状況は理解し難かった。
私の好きな本屋さんなら、私の好きな本があってもいいのにと思った。
でも売っていなかった。
だから私は、私の好きでも嫌いでもない本屋さんへ行って本を買わなくてはならない。
すごく変な話だと思う。
本を買いたかったので、昔図書館で借りた本を買った。
最近知ったことは好きと所有欲は少し性質が違うということだ。
どう違うのかは上手く説明がつかないけど。
近頃は少しだけ若返った気がする。
というのも、上手く自分をコントロールできなくなっているのだ。
急に世界が回転したり、脳みその奥の方に思考が飛んでったり、音の取捨選択がしにくくなったりしている。
少し戸惑うけど、これが普通だった頃もあるので、また慣れるのだろう。
日記を書いてみる。
書くことは好きだけど、最近かいてなかったから、書いてみようと思う。